離婚という経験

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離婚という経験

私にも原因があるのではないか


20代で結婚して30代で離婚、私の結婚期間は9年間でした。
子供もいないし賃貸物件に住んでいたので、別れることさえ決断すれば、そのあとの手続きは早かったです。

私の場合は原因だったのは夫の浮気でした。どういう理由で別れたのであっても、離婚経験者は誰でも実感するところだと思いますが、それまで作ってきた人生の形を変えることは、膨大なエネルギーのいることです。
決断するまでには迷いましたし、自分にも原因があるんじゃないかとも考えました。

人間だから間違いをおかすこともある。そのうち忘れて元どおりになるんじゃないだろうか。
多少のことは大目に見るのが女の度量
許せない私の心が狭いのかも。

ということを何度も考え、そう思えそうな日もありました。根本的に私が何かに耐えること、不信感がデフォルトになった、それはもう取り返しがつかないとはっきり自覚した時、このままでは自分がだめになると思いました。

相手への不信が拭えなくなる

浮気が発覚するまでは、相手の携帯を見たいと思ったこともなかったのですが、発覚以降は携帯が何か隠しているツールにしか見えなくなります。

しばらくはやり直そうとお互いに努力をしていました。
信じたいし、信じようとするのですが、隙があったら夫の携帯を見てしまう。それを自分で制御できなくなっていました。

さらにその頃の勘の鋭さはちょっと異様で気になると思うことは大体当たってしまいました。
もう連絡を取らないと約束した後なのに、コンタクトのあった痕跡を見つけてしまう。

こういうことがまったくなく、信頼を確実に取り戻すようにリカバーされていたら、違ったかもしれません。
どこにいても何時に帰ってきても朗らかに相手を信じていられた日々は、もう戻ってこないという実感が募るばかりでした。子供もいないし共稼ぎだったので、夫と一緒にいる理由は、一緒にいたいという気持ち以外には理由がなかったのです。

自分の感情がコントロールできなくなる

起こったことは私にとって、信じていたものに裏切られたと感じられます。
その悲しさとみじめさはごまかしようがなく、耐えようとすればするほど気持ちが暴れて、子供が癇癪を起こすように泣きました。

けれどこれはある部分では夫に対して、どれだけ辛いかを表明しているようなところがありました。
悲しいエネルギーが暴発するのですが、癇癪を起こす自分を冷静に見ながら、夫がどういう対応をするか観察している部分もありました。

離婚を決断するまでの3ヶ月くらいは、定期的に発作のように感情を爆発させるという状態が続きました。それには夫も疲れたことでしょう。

人を呪いたい気持ちになる

不倫相手の存在は自分の生活を壊した原因と感じてしまいます。どうにかして報復したい、後悔させたい、これが正直な気持ちでした。私の人生を壊したのだから制裁を受けろ、同じくらい辛い思いをしろ、というネガティブな思いを向けてしまいます。

もちろん夫が悪い。でも既婚者とわかっていて関係を持った相手も無実ではない。むしろ悪、そういう思考になるのです。

でも何よりも、そうなってしまっているときの自分の思考の醜さに耐えられなくなりました。
法的手段を使って慰謝料を取っても、実際に会いに行って怒鳴って謝らせても、私の心は本当に穏やかにならないだろうと想像はつきました。

ではどうすればいいか。どうすれば報復と呼ばないポジティブな方向にこの憎悪を変換できるか。
私はそれを考え始めて離婚を選びました。

何が何でも自分のことを幸せにする

例えば時間をかけて夫婦関係を修復して、不倫相手のことは人生のちょっとした出来事でした、
と言えるようになるのも素晴らしい思います。

でも私にはそこまで耐えることができませんでした。その時に思ったことは、私は何が何でも自分のことを幸せにしなければならない、ということです。
どれだけ過去の生活が幸せだったとしても幸せだった分壊れてしまったところから過去を振り返ることはただ辛い記憶になります。

だからここで終わろうと思ったのです。
それで振り返ってしまう地点の自分よりも幸せに生きるしかない、そう思いました。

そこからはどんどん行動力がみなぎります。
新しい家を探しました。安いアパートでしたが、工夫して住めば良さそうな部屋を借りて、引越しの日取りを決め、そのあいだ夫は、私が考え直さないものかと、まさかこんなことになるとは思っていない、それは望んでいないという様子でした。長く一緒に暮らしてきた情もあります。でも引っ張られている暇はありませんでした。

その後、引っ越してから2ヶ月、しばらく渋られたけれど、無事に離婚届に判をもらいました。

離婚して思うこと

離婚してしばらくはこれでよかったのだろかと、思う日がなかったというと嘘になります。
ありましたよ。でも後悔はしていません。
許すとはどういうことだろうと今も考えます。
そばにいて許すことができる人もいると思います。でも私の場合はそれができませんでした。
自分に生まれてしまった不信感や憎悪を断ち切るには、終わらせるしかなかった。

けれど、いま距離をとって夫であった人を夫婦とは違う関わりの家族のように思います。
そう思えるのは今の自分は幸せだからです。

離婚を経てわかったことは、自分が不幸な状態だと人の幸せを望む余裕なんてないということでした。自分が辛い思いをしている原因を呪うエネルギーが負の連鎖を生んでしまいます。
人生の限られた時間は、そんなことに使うためにあるのではない。

どんなことが起こっても誰といても、私たちのすべきことは、自分のことを幸せにすることです。

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畑山 紫
ライター

畑山 紫
(はたけやま むらさき)
ライター。植物とお茶、香りのするものが特に好き。
ビザールプランツの実生記録を主に投稿していきます。

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